研究概要 |
これまで、詳細不明であった、福羽逸人に依頼を受けた新宿御苑の設計者、フランス人造園家アンリ・マルチネの人物像を明らかにした。マルチネはヴェルサイユ高等園芸学校を入学・卒業ともに首席であり、1883年の卒業時には農務省からのイギリスのチェルシー庭園への実習生として選抜派遣された。1888年(21歳)より当時フランス造園界で中心的な存在であったエドアール・アンドレの片腕として設計活動を行い、アンドレのスケッチをもとにバルナ公園(Parc Varna)の設計を指示(1890)するなど、アンドレの造園思潮を継承したと考えられる。1891年(24歳)には既に造園設計家として独立し、トゥール(Tours)の公園の設計案(1892)、リヨンの万国博覧会で雑誌『Le Jardin』が金賞を受賞(1894)、フランス国内だけでなくチュニジア・ロシアなど海外各地で賞を受賞するなど、当時のフランスを代表する造園家であった。 また彼は、当時の庭園雑誌『Le Jardin』の編集長(1891〜1921)や、ヴェルサイユ高等園芸学校産業・商業園芸の教授(1897〜1903、名目上の教授は1920まで)、同校の卒業生協会(Alumni association of Versailles' School)の会長(1905-1906)や、フランス国立園芸協会の会員(1888)となり、1910〜1911年には同協会の副会長を務め、様々な審査員、セント・ペテルスブルク万国博覧会のフランス政府出展責任者なども歴任し、造園界の重鎮であったと考察された。 現存する彼の代表的造園作品は、ボーリガール公園(parc de Beauregard)、ボーモン公園(parc de Beaumont, Pau, 1896)、ロネル公園(le parc de la Rhonelle, Valenciennes, 1901)の3公園であった。
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