アンリ・マルチネ(1867-1936)は新宿御苑(1906)の造園計画立案者だが、設計図等の史料・記録は焼失、計画を描いた鳥瞰図(印刷物)が残るのみで、これまで彼の生没年や人物像の詳細は知らていない。本研究は、新宿御苑の設計者の人物像と彼のデザインの特徴、そして新宿御苑のデザインとの関係を明らかにした。マルチネは近代フランスの代表的造園家エドアール・アンドレ(1840-1911)を後継するように19世紀末〜20世紀初頭に活躍した造園家で、そのデザイン手法もアンドレに学んだ時代の流行「ジャルダン・コンポジット」の作風をもち、これが新宿御苑のデザインの基調と考察できた。ジャルダン・コンポジットとは混成様式を指し、新宿御苑にみられるようないくつかの庭園様式の特徴を一つの庭園にまとめて実現した形式である。この形式の庭園は新宿御苑完成後、特に各地の高等学校にて実習を通じた見本園(西洋庭園)として作られていく事実を整理した。その最たる例が、1909年に設立された千葉高等園芸学校(現千葉大学園芸学部)のキャンパス庭園(1911年完成)である。なお、新宿御苑完成以降のマルチネの活動はこれまで詳細が不明であった。しかし、今年度の調査成果から1906年以降、彼はフランス南西部の保養都市アンダイ(Hendaye)の造園計画・建築計画・都市計画に携わり、現在に見るアンダイの都市基盤整備を立案・実践した事実が判明した。これは、造園家が庭園設計から都市設計にいたる広範囲な職能として現代に知られることになる、先駆的実践事例と位置づけられよう。また、彼の肖像写真、業績リストをご子息から提供を受けたので、これまでの人物像に肖像画を加えることが出来た。加えて、「福羽逸人回顧録」の原本が発見されたため、この原本の記述内容に基づきわが国の園芸・造園学に与えた新宿御苑の影響について現在分析を進めている。
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