新宿御苑は改修されて完成(1906)してから2006年に100周年を迎えた。しかし、造園計画立案者アンリ・マルチネの事績の詳細や、造園計画の企画立案者福羽逸人と新宿御苑との関係、そして、新宿御苑完成後のその園芸・造園界への影響の詳細は不明であった。本研究では、新宿御苑の設計者の人物像と彼のデザインの特徴、そして新宿御苑のデザインとの関係を明らかにした。マルチネは近代フランスの代表的造園家エドアール・アンドレ(1840-1911)を後継するように19世紀末一20世紀初頭に活躍した造園家で、そのデザイン手法もアンドレに学んだ時代の流行「ジャルダン・コンポジット」の作風をもち、これが新宿御苑のデザインの基調と考察できた。したがって、当時流行した近代フランス式庭園が新宿御苑の庭園デザインの基調であった。この形式の庭園は新宿御苑完成後、赤坂離宮、武庫離宮などの庭園設計にも影響をあたえ、さらに造園教育現場である千葉高等園芸学校(現千葉大学園芸学部)のキャンパス庭園(1911年完成)にも影響を与えていた。これらの成果は(社)日本造園学会誌「ランドスケープ研究」、日本庭園学会誌などに発表し、また、フランス人研究協力者Stephaniede Courtois(ヴェルサイユ国立高等造園学校講師)により仏文論文としても公表された。なお、新宿御苑完成以降のマルチネの活動はこれまで詳細が不明であっが、彼の調査を通じて発見した肖像写真とともに主要業績をまとめることができた。
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