本研究の目的は、地方文化において伝統芸能の「保存」活動が行われる際の「伝統」表象のあり方と、その地域アイデンティティ意識との結びつき、さらにはそこにおいて「中央」と「地方」との間に働く力学といったことについて、日本の民謡を事例として解明することにある。初年度にあたる本年は、それを具体的に推し進める以前に、(1)この問題について申請者がこれまで予備的に行ってきた研究を整理し、(2)今後の考察の基礎となる視点を確保するために、いわば外濠を埋める形で、原理的なことがらや周辺的な諸問題の考察を行った。 (1)については、「正調江差追分」に関する申請者の前年度までの研究成果を「異文化接触の中の民謡-「正調江差追分」にみる自己表象の成立と変容-」(『日本音楽・芸能をめぐる異文化接触メカニズムの研究-1900年パリ万博前後における東西の視線の相互変容-』、平成13-15年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書、研究代表者:井上さつき、108-136ページ)にまとめたが、伝統の「保存」という問題を日本の近代化過程、とりわけ廃藩置県以後の郷土意識の近代化・再編成の過程との関連で考察してゆくことの必要性があらためて確認された。 また、(2)については、本研究の基礎にある、自文化の伝統表象が外部の視線との関わりの中で形成されるという構造を典型的に示す事例として観光都市ウィーンをとりあげ、観光客の視線との関わりの中で都市のアイデンティティが形作られるメカニズムとそこでの音楽の関与のあり方を考察した。また、地方文化の考察にはいる前提として、日本という国家の自文化表象が形成される過程およびメカニズム、そこにおける音楽の関与に関するいくつかの考察を行った。特に、宝塚歌劇の「日本民俗芸能シリーズ」に関する考察では、本研究での今後の考察の中心となる戦後期における民謡表象の変化が「国民文化」のあり方の変化と連動していることを明らかにしえた。
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