本研究の目的は、地方文化において伝統芸能の「保存」活動が行われる際の「伝統」表象のあり方と、その地域アイデンティティ意識との結びつき、さらにはそこにおいて「中央」と「地方」との間に働く力学といったことについて、日本の民謡を事例として解明することにある。2年目にあたる本年は、主に現地での聞き取りや資料調査を中心に展開する予定であったが、大学において総長補佐に任命されるという予定外の事態となり、地方での調査が全くできなくなってしまった。しかし、別の形での成果もあった。 本年は、講義でもレコードをテーマとし、日本の近代化過程においてこのようなメディアの果たした役割を考察したが、秋に行われた日本音楽学会全国大会では「メディアと記憶」と題されたシンポジウムを組織し、これらの活動を通して、近代日本において郷土意識や伝統表象が形成されてゆく際にこれらのメディアの果たした役割の大きさ、それが人々の地域の記憶を形成してゆくメカニズム等を再検討する必要性を確信するにいたった。特にソノシートという、これまでほとんど取り上げられなかったメディアをテーマにした論文をまとめることができたことは大きな収穫であった。ソノシートは昭和30年代に、レコード単体ではなく出版社ベースの刊行物として、写真や文章とセットにして音楽を流通させることによって新しい体験様式を切り開いたメディアとなった。この時期はまた「民謡ブーム」とも重なっており、観光産業とも結びついて「民謡の旅」等のタイトルのついた、レコードやソノシートつき書籍が数多く刊行され、人々の地域表象を形成する上で大きな役割を果たした。その展開を再検討することは、郷土意識の形成と民謡の関わりを考えることにとどまらず、昨年行った「音楽都市ウィーン」の表象をめぐる研究などとも呼応しながら、音楽と土地の記憶、空間表象と音の文化といった、さらに大きな問題圏を切り開く研究に昇華してゆく手応えを感じている。
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