本研究は、元東京新橋組合副頭取で昭和24年(1949年)から50年にわたり新橋芸者を勤めた"小ひ奈"が生前残した小ひ奈自身の舞踊の映像をデジタル化して整理することによって、時代とともに減少していく花柳界の舞踊文化の一面の特徴を保存し、同時に、小ひ奈という芸妓の人となりを、彼女が残した資料から考察することを目的とする。 本研究は平成16年度〜18年度の3年計画であり、研究最終年度である平成18年度は、資料の整理を続行し、映像資料内容の特性に合わせた有効な保存方法を検討し、小ひ奈が残した足跡を舞踊の視点から考察しまとめ作業を行った。 小ひ奈は、大正15年(1926年)東京築地生まれ、本名は、宮脇俊子、家号:照分菊、平成11年12月(1999年12月)に他界している。小ひ奈が新橋の花柳界に入ったきっかけは、戦後、女一人が生活をして行く上での選択である。小ひ奈には幼少の頃から稽古していた花柳流の舞踊の素地があり(名取名:花柳禄豊)、その能力を開花させながら、晩年には、スター的芸妓であった"まり千代(平成7年、文化庁長官賞受賞平成8年1月31日他界)"から頭取職を継ぎ、大正14年から新橋演舞場で開催されてきた新橋芸妓衆による「東をどり」で、まり千代の持ち役を任せられる程の名舞踊手の地位を確立した。舞踊とともに芸妓人生を生き抜いた小ひ奈の姿が見えてくる。
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