昨年度に引き続き19世紀末〜20世紀初頭のイギリスにおけるドイツ都市政策・都市行政認識がどのようなものであったかについて、ドイツの実態と付き合わせながら、T.C.ホースフォールとJ.S.ネトルフォールドの所説に即して検討した。その骨子は以下のとおりである。 (1)ドイツ都市政策・都市行政のイギリスへの影響:世紀転換期のドイツにおける都市計画は、単なる道路改造・建設計画から、住宅政策を明確に組み込んで郊外の未建設地を計画的に開発する「都市拡張」の段階に移っており、都市行政も、市議会と市参事会の二元的構成を維持しつつ、市参事会内では専門的知識をもつ有給市参事会員の重要性が増しつつあった。ホースフォールとネトルフォールドはこれらのイギリスへの移植を提言し、それを踏まえた彼らの活動は、田園都市・モデル村落の試みと合流して、イギリスにおける都市計画運動の原動力となった。 (2)イギリス側の認識とドイツにおける実態の乖離:イギリス側の認識はドイツの実態そのものであったわけではない。ホースフォールやネトルフォールドは上級市長を中心とする市参事会と市議会の二元的構成というドイツの制度を正確に理解していたとはいえず、戸建て住宅の優位やO.ヒル流の住宅管理制度などの点ではイギリスのほうがすぐれていると認識していた。二人の観察とそれに基づく提言は多分に選択的なものであった。 (3)イギリスとドイツの都市政策思想の共通性:アディケスに代表されるドイツの都市政策家とホースフォールやネトルフォールドの都市政策思想には共通するところが多かった。それが理想としたものは、住宅政策・都市計画の文脈で言えば、議会制定法や都市の条例に基づく公的規制と国・自治体の支援のもとで、フィランスロピー団体や公益的企業が住宅建設活動を行うことであったということができる。
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