7月から8月にかけ中部ゲアン省トゥオンズオン県キムダー村のオドゥ族を訪ねた。オドゥは国定53の少数民族中200人足らずの最少民族で、89年の人口調査では30人ほどになり「絶滅」が危惧されたが、10年後の調査では400人近くに激増した。人数が特に少ない少数民族に対する国家の優遇措置に惹かれ、周辺のターイやコムの中にオドゥと申告する人が大量に出たためであることが確認できた。そこまでは予想どおりだったが、とんでもないことが起こっていた。ダム底に沈むため一か月後に村ごと移住する準備中だったが、オドゥ族だけが、すでに一つの共同体を築いているターイやコムと引き離されて別の場所に移住することになっていた。それは県が、「人数の少ないオドゥを優先する」と称してオドゥのみを手元に残し、国家からの特別な投資を手元に確保しようと目論んだためだ。ハノイに戻りダム建設のアセスメントを行った民族学研究所で報告し、オドゥ社会が解体すると強調したが、道路に面したインフラの整った場所に新築の家付きで移住させてやるのに何がまずいのかというのがベトナム人研究者の反応だった。その後中国国境ラオカイ省に赴き、フラ族に分類されているサーフォーというサブグループを訪ねた。サーフォーはフラに会ったこともなく、何で自分たちがフラに分類されているのか不明という反応だったが、中央に意見をあげるほどのコネクションもなく問題化していなかった。また、タイーに分類されている地方グループのパジも訪問したが、こちらは知識人が比較的多く、タイーから分離したいとの声が省レベルまで届いていた。12月にも二週間ほど渡越し、クアンビン省のグオンという多数民族のキンに分類されている人々を訪問した。ここも県レベルがほとんどグオン幹部で占められていて、キンからの分離要求は国会で認められる直前まで行っていたが、要求を行っていた幹部が日本でも援助がらみで問題になったサッカー賭博で辞職し力を失ってしまったこともあり、キン族からの分離は頓挫していた。国家と少数民族の攻防のみならず、県という中間レベルの動きが民族認定の問題に対し非常に大きな意味をもっていることに気づかされた。
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