研究概要 |
1.魏晋時代の画像資料である画像磚が最も多く出土しているのは,中国世界のなかでも西北辺境地域とも言うべき河西地域すなわち現在の甘粛省一帯なので,この地域に限定して,先行研究など情報の収集と整理を行った. 2.1をふまえて,甘粛省で画像磚の閲覧・調査を行った.対象としたのは,甘粛省博物館(蘭州),安西県博物館,酒泉市博物館,嘉峪関長城博物館などの所蔵機関のほか,酒泉丁家閘5号墓,嘉峪関新城6号墓,および敦煌佛爺廟湾西晋墓(佛爺廟湾133号墓を含む)などの画像磚墓・壁画墓などである. 3.酒泉・嘉峪関やそれ以東の魏晋時代の墓では,画像磚が墓室内部の壁面に多用されているのに対し,西端の敦煌においては,墓室の壁面の画像磚がきわめて貧弱なのに対して,高い墓門に画像磚が多用されていることが以前から確認されていた.また酒泉・嘉峪関系の画像磚が,被葬者の生活実態を題材にするのに対し,敦煌系のそれは神獣がほとんどであった(酒泉・嘉峪関系でも,墓門に画像磚が填め込まれているが,その数は少なく,かつ題材はポピュラーな四神や力士にほぼ限定されていた). 4.以上のように,画像磚の利用には地域的な格差があるのだが,両地域の中間に位置する安西県で出土した画像磚は,東方の酒泉・嘉峪関系に属することが今回の閲覧で明確になった.したがって西端の敦煌だけが,画像磚の作成と利用という点では特殊であることが判明したのである. 5.敦煌の画像磚の題材は,彼らの精神世界が豊かな内容をもっていたことを示唆している.また蓮華紋や白象など仏教系と思われるモチーフがそこに含まれていることも重要で,この地がやがて仏教の聖地となっていく趨勢と無関係ではない可能性もある.
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