平成16年度の研究は、(1)アホウドリ関係の文献、史料の検索に集中し、(2)領土問題で関心が高まっている尖閣諸島への日本人の進出を行為論的な視点から検討した。 (1)については、国立公文書館、外交史料館、東京都公文書館などに出向き、集中的に検索を行った結果、尖閣諸島だけでなく、広く南鳥島やミッドウェー諸島、ハワイ諸島などでもアホウドリなどの鳥類の捕獲を日本人が行っていたことが明らかになった。 (2)無人島であった尖閣諸島への領有行動は1885年の沖縄県による探検が行われてからであり、その報告書にはアホウドリの大群の生息が記載されている。1890年代に入ると日本人はアホウドリやヤコウガイを求めて尖閣諸島に進出し、沖縄県はその対応に苦慮し、再三にわたって政府に標杭の建設を要請、やっと1895年に尖閣諸島は日本の領土に確定した。同年、ヤコウガイなどの海産物の取り引きで沖縄の有力商人になっていた古賀辰四郎は、尖閣諸島のアホウドリの捕獲を目的に久場島の借用を政府に願い出て許可された。古賀の行為目的はヤコウガイなどの貝類からアホウドリへと移ったのである。1895年、古賀は尖閣諸島へ進出、アホウドリの捕獲で利益をあげたものの、数年後アホウドリが激減した。そのため古賀は鳥類の剥製やグアノ(燐)の採取、鰹漁業などの多角化で打開を図った。魚釣島、久場島には、その拠点として古賀村を建設したものの、略奪的な方法による資源獲得のため事業は長くは続かなかった。この研究によって尖閣諸島への日本人の進出の主な行為目的はアホウドリであったことを明らかにした。
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