従来の医事刑法は、治療義務論と治療行為論とを完全に分化し、治療強制原理と治療制約原理とを別個に論じてきたが、このことにより、今日の医療実務において生起する具体的な問題への法的対応の指針を明確に呈示することが困難化している。例えば、親権者が子への生命維持治療を拒否した場合、治療義務論の見地からは子の救命のため生命維持治療が義務づけられる一方、治療行為論に基づく「同意原則」からは親権者の意思に反して治療を強行することに疑義が生じ、治療強制原理と治療制約原理との衝突により治療上のジレンマが生じる。本研究では、こうした問題に対処すべく、治療義務論と治療行為論との有機的連関により医事刑法の理論的な再構成を試みた。すなわち、理論的考察として、治療義務論と治療行為論との接点を見出すために、例えば、不作為の因果性の問題に着目することとした。いわゆる期待説によれば、不作為の条件関係は、「期待された作為」がなされていれば結果が回避されたであろう場合に肯定される。そして、条件関係論は、不作為犯においては、単に行為と結果の結合を論定するだけではなく、「期待された作為」が結果回避可能性のある行為として十分な実質を具備していたかという観点から作為義務を限定する機能を有する。この点を踏まえて、治療義務論と治療行為論とを連関させるべく、前者において「期待された作為」としての生命維持治療が結果回避可能性すなわち患者の救命可能性を具備した行為といえるか否か、そしてつまりは生命維持治療を義務づけうるか否かを判断するため、後者の視点から生命維持治療が治療行為として患者を救命しうるだけの医学的適応性を具備しているか否かをその判断基準とすることの妥当性について検討を試みた。
|