治療義務論と治療行為論とを有機的に連関させ、前者に基づく治療強制原理と後者に基づく治療制約原理を調和させるため、例えば、不作為の因果性の問題に着目した。いわゆる期待説によれば、不作為の条件関係は、「期待された作為」がなされていれば結果が回避されたであろう場合に肯定される。そして、条件関係論は、不作為犯においては、単に行為と結果の結合を論定するだけではなく、「期待された作為」が結果回避可能性のある行為として十分な実質を具備していたかという観点から作為義務を限定する機能を有する。この点を踏まえて、治療義務論と治療行為論とを連関させるべく、前者において「期待された作為」としての生命維持治療が結果回避可能性すなわち患者の救命可能性を具備した行為といえるか否か、そしてつまりは生命維持治療を義務づけうるか否かを判断するため、後者の視点から生命維持治療が治療行為として患者を救命しうるだけの医学的適応性を具備しているか否かをその判断基準とすることを試みた。さらに、「期待された作為」としての生命維持治療の結果回避可能性のみならず、その結果回避行為としての容易性をも考慮に入れた。すなわち、治療行為論における医学的適応性の見地から生命維持治療による救命可能性と危険性とを考量し、生命維持治療が容易でなく救命が困難であると判断されるような場合には、治療義務論において生命維持治療を義務づけることは、適当ではないと考えた。そもそも不真正不作為犯の成立要件とされる作為と不作為の同価値性の観点からは、作為に出ることが困難な場合の不作為を作為犯とは同視しえないからである。したがって、治療行為論の医学的適応性の見地から容易性を欠き困難な生命維持治療については、その不作為は、作為犯とは同視できず、その実施を義務づけることは、妥当ではないと考えた。
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