国定国語教科書、とくに第一期教科書は、学習指導要領のなかった時代において、国家が国語科の教育課程を体現した存在であった。本研究はこの教科書における編纂方針の根拠を検討することによって、学科成立の起源における(1)他の学科と国語科の異同、(2)小学校と中学校との連続・非連続、(3)植民地と内地とにおける言語教育の関連を明らかにしようとしたものである。 本年度はそれぞれ以下のような成果を挙げた。 (1)についてはとくに国語教科書における文体選択の問題に着目した。具体的には国語科成立時の検定教科書における言文一致文の激増の根拠として国語科成立の前年に文部省が刊行した『沖縄県用尋常小学読本』の成立過程を検討し、それが「内地」における保科孝一等、教科書編集の論理を提言する立場の発言との同型性を持ち、しかも先行することを明らかにした。 (2)については明治十年代の中学校における和漢文科の成立経緯、また和漢文から国語及漢文科への改編の経緯を調査し、とくに明治19年においては、中等教育において国語教育が成立する際の課題として、「文明の良導体」としての「国語」の創造が期待されていたことを明らかにした。 (3)については国定教科書成立の直前に日本統治下の台湾で刊行された『台湾教科用書国民読本』における文体の特徴に着目し、国立中央図書館台湾分館所蔵の資料で、その編集方針を決定する立場にあった人物として、東京文科大学博言学科で上田万年の指導を受けた後、台湾総督府学務部で編集の任にあたっていた小川尚義であることを特定した。
|