本研究は、明治26(1893)年にアメリカのイリノイ大学建築学科を卒業し、翌年から現在の東京工業大学の前身にあたる東京工業学校工業職員養成所木工科授業方取調べとして務め、以後退官する大正6(1917)年まで、わが国中等建築教育に従事した建築家滋賀重列に関する研究である。滋賀は、卒業後の明治38(1905)年にイリノイ大学に論文を提出し、修士号を得ている。この修士論文の元本がイリノイ大学に保管されていることを確認していたことから、今年度は研究の一環としてイリノイ大学を訪れ、この修士論文を収集してきた。本研究の中心となるのは、この修士論文の分析である。すなわち、修士論文のタイトルは、「Future Development Of Japanese Dwelling Houses」であり、わが国最初期の住宅論のひとつとして位置づけられる。ちなみに、滋賀は、明治36(1903)年に建築学会機関誌『建築雑誌』に著名な論文「住家(改良の方針に就て)」を発表し、わが国の近代住宅史にその名をとどめている。 今回入手した修士論文は、これまでその存在は知られておらず、かつ、『建築雑誌』誌上で発表した論文の直後に書かれたものであり、滋賀がわが国の住宅の将来について総合的に記した論文として注目されるのである。現在、その英文の翻訳作業を行い、傍ら、翻訳作業の資料として『建築雑誌』を中心に滋賀の残した論文を収集し、その内容の整理を行なっている。 一方、遺族からの滋賀重列に関する聞き取り、滋賀重列に関する遺品の整理も今後の課題であり、次年度にはこうした作業も行い、滋賀の戦前期の建築界における活動と収集した論文の位置づけを行なう予定である。
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