本年度は、当初の計画に従い、友情と公共性との関係をめぐる哲学者たちの立場を、具体的なテクストに即して明らかにし比較する作業に従事した。そして、友情をめぐる哲学的な言説が、友情と公共性の関係について前提としている理解が大きく三つの型に分けられることを確認した。その三つの型とは、(1)公共圏における意思疎通と合意形成の基盤を友情として理解する立場、すなわち、友情は公的なものであると見做す立場、(2)友人とは自己了解を可能にする対人関係であるがゆえに、公共圏から区別された私生活圏に位置を占める存在であると考える立場、そして、(3)友情とは公的なものであるが、その起源は親密圏にあり、親密圏において見出される対人関係の原理こそ、友情と呼ばれるべきもの、公共性の基盤となるべきであるという理解。(1)の立場は、アリストテレスとキケロ、そして、シャフツベリによって代表され、(2)の立場の代表例が、モンテーニュの友情論であり、(3)のような理解を前提としているのがルソーの友情論である。友人を(3)のように理解することによって初めて、利害や意見の一致や、空間的な近接関係、あるいは、助け合いや慰め合いなどが、友人との付き合いの不可欠の要素となる。ルソー以前の哲学史において、友人が、共有しうる意見を見出すための対話に加わる用意のある者を意味していたのとは著しい対照をなす。 友情をめぐる理解を三つの型に分類することにより、何らかの行為の理由としての「友情」が、反社会的な性格を帯びたり(キケロが提起した問題)、他の動機と競合したりするのはなぜかという、友情論の根本問題を考えるという来年度以降のテーマを取り扱う上での視点を手に入れることができたと考える。
|