本年度は両宋時代を中心とする中国江南地域の美術に関する調査旅行を9月に行った。具体的には杭州・湖州・蘇州を主訪問地とする。主目的地である杭州においては、飛来峰石窟・慈雲嶺石刻・烟霞洞石窟という五代から元に到る主要造像の調査を完遂した。 特に、飛来峰石窟及び烟霞洞石窟に存在する五代期の十六羅漢は、図像的・様式的に同一文化圏の範疇で処理されるものである。当時の東アジアの交流ルートからすれば、高麗・日本に影響があってもよさそうではあるが、禅の基盤が周辺国にまだなかったために選択的受容の範疇から漏れ、この系譜はほとんど遺存せず、北宋以降はこの地域の古めかしい特殊様式へと頽落したものと考えられる。10世紀末に〓然によって日本にもたらされた十六羅漢図は、これと異なることから、当時の開封様式であったと見られる。また、遼塔外壁装飾に私が発見した十六羅漢図は、この地の文化動向から考えて、中唐ころの十六羅漢図像を保存したと見られるのであって、これもまた異なる要素を持つ。以上のように、十六羅漢図に関しては、地域的要素を多分に含有し、その地理的・歴史的意味と周辺諸国への伝播状況を勘案することで、中国仏教美術の南北問題を検討するよき指標たり得ることを見出したのであり、鋭意この点の研究を進めている。 また、飛来峰石窟においては、青林洞の北宋初頭の廬舎那仏会の所期の実査を行った。この華厳廬舎那仏図像は、南宋以降の江南華厳の拡大とともに、中国国内はもとより、周辺諸国にも重要な影響を与えたことを証する遺品であって、他地域の旧来の造形伝統を保存する作例と並べることによって、かつての大唐帝国の「中華」の秩序と南宋以降の「中華」のギャップを如実に示していることが理解された。
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