本研究は、上演芸術における翻案現象についての理論を構築することを目的としている。平成16年度は、まずH.ミュラーによる1960年代以降の一連のギリシア翻案劇(『ピロクテテス』、『ヘラクレス2』等)を中心に、20世紀に著されたギリシア悲劇翻案劇の原語テクストおよび関係するギリシア悲劇作品を比較分析した。現在までに得られた知見は次の通りである。 (1)翻案過程と受容・上演環境の相互関係:翻案(adaptation)は、(従来行われているように)オリジナル作品からの派生としてみられるときには、本来必要とされていなかった無用の修飾とみられてしまう。しかし、受容コンテクストへの適応(adaptation)としてみられるときには、個々の作品の、その都度の"表現型"として把握されるだろう。たとえばミュラー翻案『ピロクテテス』は、シュトラウスがTheater Heute誌上(1969年)で報告していたように、ベルリーナー・アンサンブルの身振表現やリビングシアターの体技への適応としてみることができる。さらに、これらは単なる反映ではなく、環境と適応という相互作用的な生成変化の相にある。つまり、受容層や上演様式もまたその都度の翻案作例によって影響を受けているのである。翻案『ピロクテテス』においてミュラーは、この点を"反転の視座"と表現し、政治という受容・上演環境と翻案作例が互いに"引用"しあう関係にあることを自ら指摘していた。 (2)翻案の連鎖:翻案によって整備された環境は、自然環境がさらなる適応を生むように、繰り返し翻案の新しい相貌をとる。これは日本の落語など、口演のスタイルにおいて顕著であるが、ミュラーの場合にも、ゲッペルスによるミュージックシアターというジャンル変換によって、翻案の連鎖が達成されていた。
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