平成17年度も引き続きギリシア悲劇素材の諸翻案を、その製作状況と受容コンテクストとの相互適応関係において考察した。今年度は特にギリシア悲劇『オイディプス王』の明治期の翻案(川上音二郎『又々意外』、明治27年)を主たる対象として、新聞記事、同時代評などを検討しつつ、制作環境と観客受容のダイナミズムを明らかにした。そこでは明治の観客には受け容れがたいギリシア神話モチーフ(アポロンの予言による凶行、実母との近親相姦)は巧妙に避けられ、時事的なモチーフ(挙銃強盗、義理ある仲での母子同衾)へと変更されている。またその様にして受容を計算して製作された翻案劇が、次には「裁判劇」への期待という次世代の受容環境へとフィードバックされ、次世代の製作(例えば泉鏡花『義血侠血』に基づく新派劇『瀧の白糸』あるいは『是又意外』)へと翻案が連鎖していく事情を明らかにした。以上は、雑誌論文として公表した。 また翻案現象についての理論構築に向け、重要な隣接概念である「パロディ」研究の文献の分析を引き続き遂行し、翻案現象一般についての理解を深めた。とくにバフチンやロシアフォルマリズムによるパロディ関係文献の検討からは、従来ひろくおこなわれている「オリジナルから翻案派生」という図式ではなく、そのつどの受容のなかでしばしば起こる「オリジナルと翻案の可逆的な関係」を解明する手がかりを得た。たとえばギリシア悲劇そのものが後世こうむったように、そもそもは翻案である製作が、木朽の名作=オリジナルへと列聖されることは、従来の派生図式からは説明できない。だが、オリジナルとパロディの可逆的な関係を参照するとき、そのつどの優勢な受容環境のなかで恣意的に翻案とオリジナルが混同されるという、われわれの翻案受容の一側面を把握することができるのである。
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