三年の研究期間全体にわたって、ギリシア悲劇からの翻案制作(とくにH.ミュラーや川上音二郎など)について、歴史的な作例研究と、受容層・ジャンルへの「生物学的適応」の観点からの理論的考察をおこなってきた。すなわち、われわれが「正典」(canon)としてもつギリシア悲劇が、時代に適応して"生き残る"ために、いかなる変貌を遂げなくてはならなかったのかを分析してきた。 平成18年度は理論的な総括として、この「生物学的適応」としての「翻案」(アダプテーション)を、隣接概念である「流用」(アプロプリエーション)とともに再検討し、また現行の著作権法制度のなかで考察した。「翻案」(アダプテーション)は、正典への敬愛を明示し、その権威によって生き残ろうとする。オリジナルのもつ有機的身体性に固執しつづける側面は、日本の現行著作権法における(二次的著作物としての)翻案概念と良く一致している。とりわけ、同法がみとめる翻案権が翻案"させる"権利として規定されていることに見てとれる。他方、「流用」(アプロプリエーション)は往々にして原著作物への批評や椰揄の形をとり、オリジナルにとって代わろうとして、新しい有機的身体性を構成する戦略をとる。これに対応するように、日本とは異なる著作権制度(たとえばアメリカのフェア・ユース規定やフランスのパロディ条項)のなかでは、このアプロプリエーション的な翻案把握・批評性を反映して、翻案"する"権利が重視されている。ここには、個々の作例の歴史的な適応現象を越えて、翻案概念自体の著作権法制度との適応関係をみることができる。今年度の成果は雑誌『美学』に投稿準備中であるが、その一部は、京都国立近代美術館・「醜と排除の感性論」共催の公開講演会(平成18年8月26日、京都国立近代美術館講演室)において、口頭発表した。
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