ロシア正教古儀式派ヴィグ共同体(1694-1857)のイコン研究において、本年度はまずヴィグ共同体の指導者が考えるイコン論を明らかにするため、同共同体の宗教問答集『ポモーリェの返答』(1723)におけるイコン関連の記述を考察した。『ポモーリェの返答は』古儀式派の教義について、国家教会から出された質問に対して、古儀式派が自らの正統性を主張するために著した返答集であり、古儀式派信徒が考える新・旧信仰におけるイニンの相違を端的に表している。同返答を分析した結果、ヴィグ共同体が考えるニーコンの改革後のイコンにおける変更点は、イコンが古来の手本に従っていないこと、換言するとラテン風になったことである。その例として、指の組み方、イエスの綴り方、聖人やキリストの体格、髪や顔の描写を挙げている。これは古儀式派の初期の指導者アヴァクームが『対話の本』で示しているイコンの変更点とほぼ一致している。しかし、記述法は大きく異なっており、アヴァクームが喩えを交えつつ表現力豊かに記している一方、『ポモーリェの返答』は史料を引用し証言を積み重ね、あくまで論理的に主張している。『ポモーリェの返答』では、イコンを「古来の手本に従うべき」とのみ記しているが、実際は「ポモーリェ派」という独自の流派を形成していたため、そこにいかなる新しさも認めないことは不可能であろう。そこで、モスクワの国立歴史博物館他において、現存しているヴィグ共同体のイコンと写本の調査を行った。またモスクワのラゴージュスク墓地にあるロシア正教古儀式派の教会を訪問し、資料収集を行うと共に、教会内部のイコンを調査した。これら現地調査で得られた資料と、国内外で収集した文献資料を分析することで、実際のイコン美術における変遷が明らかになうと思われる。現在は、美術館で調査したイコンをカタログ化する作業を行っている。
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