まず去年度の研究の成果を口頭発表した。「なぜ、性とサブカルチャーか?」(日本近代文学会春季大会のシンポジウム「文化史としての<現代文学>」パネラー発表、於北海学園大学、2005・5・29)と、「笑う『快楽主義の哲学』-森奈津子とセクシャル・マイノリティー」(日本文芸研究会第57回研究発表会、於東北大学、2005・6・12)である。前者では、現在の文学の最先端の状況において、セクシャル・マイノリティにおける「トランス」の概念が鍵であることを明らかにした。後者では、バイセクシャル作家である森奈津子を取り上げ、セクシャルマイノリティを題材とする差別的な「笑い」に関して、当事者が当事者を笑うことで自己を解放する表現の機構を明らかにした。ところで学会での前者への反応は、まさに典型的なセクシャル・マイノリティへの偏見や誤解や無理解に基づくものであった。そのことを『日本近代文学』第73集の「展望」に寄稿した「理論はどこからやってくる?」によって明らかにした。一方、誤解を誘発する理由として、研究代表者自身のセクシャリティが問題になっている可能性についても真剣に考えなければならないことが明らかになってきた。そのような問題意識に基づき、自身はセクシャル・マイノリティではなかったもののセクシャル・マイノリティ表現者の友人を多く有していた澁澤龍彦の存在がクローズアップされてきた。「澁澤龍彦 死後の生-ゴシック/セクシャル・マイノリティ/サブカルチャー」(一柳廣孝・吉田司雄編『ホラー・ジャパネスクの現在』2005・11、青弓社)はそのような問題意識に基づく考察である。さらにこれはマイノリティとマジョリティの間の問題として、研究発表「澁澤龍彦はサブカルチャーなのか?-幻想文学とセクシャル・マイノリティを視座として-」(平成17年度熊本国語国文学会、於熊本県立大学、2005・12・17)で追求した。
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