今年度は主に、17世紀前半に成立した、島津入り(1609年の薩摩藩による琉球侵略戦争)に関する歴史叙述『喜安日記』の研究を中心に活動した。平成17年3月、沖縄の琉球大学で小峯和明氏・池宮正治氏等を中心とする科研グループの研究会に参加、また沖縄県立図書館所蔵本を調査し、後日東京大学史料編纂所所蔵の異本の調査も行った。それらによって得た知見をもとに、夏、学術論文『多重所属者と『平家物語』』を執筆、『平家物語』における平家没落の場面の文章が琉球側の視点に立つ著者に引用されることで別の意味を与えられ、単純にヤマト側の意向に奉仕するのではない、複数の視点の交錯する歴史叙述を生み出したことを論じた。また、著者に仮託された喜安が海港都市・堺出身者で、琉球に骨を埋めたとされる人物であることから、一国の文化的中心の視点からのみ彼ら移住者を眼差すのではなく、彼ら大交易時代の各処で生きた多重所属的ディアスポラの視点から文化的中心を捉えかえすような試みも、今後重要になってくるだろうことを論じた。 また、4月には軍記と語り物研究会で『為朝論の系譜とその変遷』と題して源為朝研究史に関する口頭研究を行い、為朝を日本固有の「国民的英雄」としてではなく、アジアの講史の伝統の中の諸「英雄」と比較し、その越境性や植民地主義との近接も含めて、諸民族に分有される存在として捉えなおすことの可能性について提起した(後、『軍記と語り物』42号に梗概を執筆)。琉球をめぐる歴史的諸言説の中の為朝については、琉球王国の正史やヤマト側の伝承のみならず、中国明清帝国の冊封使一行の記録類や、『水滸後伝』のような明末清初期の白話小説における倭寇の表象とも併せて論じる必要がある。17世紀の東アジア海域世界に実在した日中混血の英雄・鄭成功に関する諸伝承とも関わりがあり、現在それらを包括的に論じうるパースペクティヴについて模索・検討している。
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