本年度の研究では、まず、霊感、偶然を排除しようとした韻文詩人としてのヴァレリーではなく、ペンの戯れから偶然に生まれる散文詩を多く残したヴァレリーに注目した。その上で、カイエの中の散文詩を初めて一つのまとまりとして提示した、ミシェル・ジャレティ編集の詩集、『書き捨てられた詩』のテクストを分析した。分析の際、目覚めと夜明けのテーマ、空間のもつ深みというテーマ、その深みにとらえられ、世界と交流する詩入というテーマに着目した。詩人にとって、世界は「全体」として現れるが、その「全体」は実は潜在性としての「深み」を持っており、世界を前にした詩人はやがてその「深み」に巻き込まれ、世界とからみ合っていく。このヴァレリーの視点の中に、我々はヴァレリーの思想の持つ「現代性」をとらえようとした。まず、ヴァレリーのこの観点は、現象学者メルロ=ポンティと多くの共通点を持っていることを示し、ヴァレリーの視座が実はかなり新しいところにも届いていたということを明らかにした。次に、言葉と詩の関係についても考察した。19世紀の詩人たちにとって、詩とは言葉によって構築される閉じられた世界であり、ヴァレリーの詩観にもこれと同じ考えが見られる。何よりも、ヴァレリーの特徴である「純粋詩」への考察も、この点を強調しているように見える。これに対し、ポンジュ、ポヌフォワなど、20世紀の詩人は、言葉とそれが示す事物の関係について考察をめぐらせた。このとき、詩はもはや閉じた世界ではなくなり、モノと結びついた、外へ開かれた世界となる。実はヴァレリーの散文詩に見られる世界と詩人の関係には、このような「開かれた」関係が見られる。この点を分析することで、「古典的詩人」と既められてきたヴァレリーの、詩人としての新しさを示した。
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