いわゆる「パスカルの原理」を論証した『流体の平衡と大気の重さ』において、空気が重さをもつことを論じている箇所があるが、その論証プロセスはきわめて問題が多いといわれてきた。また、自らの意見を直截に述べるというよりも、他の諸説に対する反論を通して間接的に自説を展開するという、きわめてレトリカルな方法を用いているので、当時のさまざまな議論に精通していないと、論点をつかみ損ねてしまう恐れがある。 本年度は、まず第1に空気の重さ(流体の重さ)に関する歴史的な諸議論を調査してパスカルの想論敵を正確に見極め、第2に、パスカルがいかなる視点からこれらの仮想論敵に対峙しているか、そのレトリックを分析することで、パスカルの重さに関する自説を浮き彫りにし、そして第3に、パスカルがなぜ重さの概念をこうした間接的なかたちでしか表明することができなかったのかその歴史的および内在的理由を明らかにし、別記の研究論文に報告した。 これに対する本研究の結論は以下の通りである。(1)パスカルの仮想論敵は、アリストテレス主義者、デカルト主義者、そして「原子はそれ自体の中では重くない」と考えた、当時の大部分の原子論者たちである。(2)パスカルはこれら3つの立場に反論することで、「原子はそれ自体の中でも重い」という結論をレトリカルな方法で引き出した。またパスカルはこの自説を単に作業説として要求しているのではなく、実在のレベルにおける原理として請求している。(3)歴史的な背景としては、パスカルが組している原子論が、伝統的に無神論の疑いをかけられていたことと、当時の思潮であった科学的懐疑主義の影響を指摘した。内在的な理由としては、パスカルの重さの理論が、重力理論が確立していなかった17世紀中葉にあって、物理的に整合的な体系を十分に築き得ないことによる暫定的な処置であるとした。
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