平成16年度は、2度に亘る中国現地踏査を通して、北京大学図書館・国家図書館・上海図書館等に蔵せられる資料を調査した。その成果として、まず学術論文一編を作成した。以下その要旨を述べる。1932年の第一次上海事変を巡る作家の動向を、主に沈従文と上海の地方紙『時報』に連載された新聞小説「儒夫」を中心として分析した。上海では、上海事変勃発以来未曾有の戦争報道ブームが発生し、新聞・雑誌等が続々と出版されて戦争を記述するということが熱心に行われた。また上海事変を取り扱った文学作品も数多く生産され、市民に好んで消費されるという一種の社会現象も認められるようになった。各新聞社は戦場記者を前線に送り込み、ルポルタージュを掲載したことから、報告文学というジャンルが興隆した。しかし沈の新聞小説には、戦争を題材としながら戦闘地域の模様が詳細に描かれない、上海事変を正面から取り上げることがないという特徴が認められる。当時沈は青島に居住し、上海の新聞に青島で完成した原稿を郵送していたと考えられる。このため、上海在住の作家と異なり、日々もたらされる新聞報道を素早く小説に取り入れ、戦況の変化に呼応して随意にストーリーを変更するという作成の過程を経ることがなかった。また第二章以下は、同じく上海刊行の『申報月刊』、及び神州国光社という上海の抗日世論を支えた出版社の『微音月刊』という雑誌に掲載された沈の戦争小説に論及し、所謂京派作家の一人である沈の、上海との距離を考察した。 上記論文以外では、1930年代前半、主に上海を拠点として『新時代月刊』等を刊行した曽今可と彼のもとに集合した作家集団に関する資料収集、及び1930年代後半より40年代にかけて彼等が移転した武漢並びに重慶・昆明等内陸都市の資料収集にも着手し、収穫を得た。これらについては、平成17年度中に論文にまとめ、公刊する予定である。
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