本年度は、金代(1115-1234)に邪準という人物によって編纂された字書である『群籍玉篇』(1188年撰)を取り上げ、収録字の一字一字について精査を行った。この作業から得られた知見は多いが、特に重要と思われる事柄として、例えば以下の二点がある。 一、『群籍玉篇』の編纂に際して用いられた資料の一つに、従前の字書史研究においてほとんど知られていなかった「省韻」というものがある。その内容を調査してみるに、この「省韻」とは、『廣韻』(1008年撰)と並んで宋代を代表する韻書とされる『集韻』(1037年撰)のことであるらしい。『群籍玉篇』一書中においては「省集韻」とも記述されているが、これは当時通行していた「廣集韻」という韻書に対する呼称であったと考えられる。金代において本来の『集韻』は「省集韻」にすぎなかった。 二、「廣集韻」という韻書の内容は、先述の『廣韻』と『集韻』とを合体させた体裁を採っている。この「廣集韻」の影響は大きく、金代に登場した『五音集韻』(1208年撰)という韻書は、この「廣集韻」を直接、或いは間接に底本として編纂されている。『群籍玉篇』にはさらに、韻書の版本に関する「宋の嘉祐年板の韻に曰く」との記述があり、嘉祐年間(1056-1063)に刊行された韻書の内容が引用されている。『群籍玉篇』書中において「韻」と書かれる場合、多くは「廣集韻」のことを指す。仮に「嘉祐年板の韻」が「廣集韻」の別本か何かのことであるとすると、『集韻』が刊行されて早くも二、三十年後には「廣集韻」のような韻書が登場していたことになる。 本年度中の成果公表には至っていないが、調査それ自体は大方終了しており、来年度早々には論文化して公表する予定である。
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