二条良基の編んだ仮名遣書『後普光園院御抄』には、「かなには、たのしひと書て、読には、たのしみと読。かなしひも同様」といったマ行音をハ行の仮名で書くという規定が示されている。同様の規定は、以後の仮名遣書に掲出語数を増やしながら引き継がれていく。一方、中世から近世にかけて、特定の語においてマ行音とバ行音の交替現象が起きていることが広く知られている。仮名遣書のマ行音をハ行の仮名で書くという規定を音韻史の中で捉えるためには、まず書かれた個々の例が仮名遣であるか発音通りの表記かという問題を解決しなければならないと考える。そこで、中世謡曲資料におけるマ行とハ(バ)行の交替表記を研究の出発点とした。 調査の対象は、表音的な表記態度で知られる世阿弥の自筆能本(片仮名)と、金春禅竹の自筆能楽伝書(片仮名・平仮名)、観世宗節の自筆謡本(片仮名・平仮名)である。既に、世阿弥の自筆能本における当該表記のハ行表記については、ハ行の仮名を書いてbと発音されたとする見方と、mと発音されたとする見方とが提出されている。「カナシミ」等のマ行表記があること、表音に傾く表記態度から、m形は考えにくい。 ところで、金春禅竹の自筆の能楽伝書には「浮かばん」を「うかまん」(五音三曲集)、観世宗節の謡本には「結ぶ」を「ムスム」(養老)といった表記が僅かながらみられる。これらの一般的でない表記は、バ行音がかなりマ行音に近く、[^mb]のような鼻音を伴って謡われていたことが反映しているのであろう。従って、禅竹や宗節の当該問題に関わるハ行表記は、非m、[m]そのものではないことを示すための表記であろう。禅竹の舅である世阿弥の場合も同様に謡われていた可能性がある。以上の研究成果は、公表の準備を進めているところである。
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