近世における漁場利用の形態は、大きく分けて内水面漁業と沿岸漁業とに大別され、かつ沿岸漁業は地付漁業と沖漁業とに二分されると考えられる。本研究はこのうち地付漁場における漁業構造を分析するものである。とくに、近世における地付漁場の利用形態、およびその特質を明らかにするために、本研究では特定の品目に限定して、その漁獲過程・加工・流通構造を明らかにすることとし、初年度である本年度には、主として寒天の原料となる心太(トコロテン)草(天草)の生産・集荷に関わる史料を収集・分析した。近世において寒天は大坂周辺で主に生産されたが、その原料は畿内近国から集荷されるだけではなく、房総や伊豆半島からも集荷された。それは房総・伊豆の心太草が最上質であったためである。こうした上質の心太草を求めて、江戸乾物問屋が領主に運上金を上納し、心太草の集荷を請け負う事態が近世後期に進行した。このため本来藻草採取の内に含まれ、地付漁業権の一部を構成した心太草漁業権が集荷権とともに別立てされ、地付漁業権から分離した。領主の運上金賦課もこれに対応して別立てとなった。こうした事態は、多様な漁業権を包含した地付漁業権が、個別品種ごとに細分化されていく過程と考えられる。ただし房総と伊豆とでは地域的特質も反映して、細分化の過程には相違点が見られた。房総では心太草漁業権が単体として独立しえたが、伊豆の場合には、領主への名目上は田畑の肥料用藻草と一括されて独立したため漁業権の細分化を抑止でき、問屋にはこのうち心太草のみを請け負わせるという、実質的に村側の主導権が維持されながらの下請負(心太草の販売)を実現できた点が異なる。
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