今年度は、北陸地方及び中国地方の悪党関係を含む荘園制関係史料の収集に努めた。文献資料の博捜が主たる課題であったが、中国地方については、備中国新見荘(現岡山県新見市)に出張し、現地の地名や寺社の所在情報なども史料として記録した。こうした史料博捜の結果、荘園制の再検討に関しては、次の三つの視角の有効性が浮かび上がってきた。一つは、荘園に関わって史料に登場する人物・人名の網羅である。従来、ともすると荘園史料に登場する人物は、荘園領主と荘園現地という閉じられた関係の中でのみ位置づけられがちであったが、史料博捜の範囲をやや広げると、彼らの別の側面が見えてくることに気がつく。例えば、播磨国矢野荘で公文として現れる人物が、隣の荘園では守護の使者として段銭の徴収にあたっていることなどが明らかになってくるのである。こうしてみると、彼の公文と言う立場も、荘園領主と荘園現地という閉じられた関係のみならず、守護との関わりによって規定されていた可能性が浮かび上がってくるのである。いわば、在地の社会関係をトータルに収めることによって、荘園制を支えてていた社会基盤を新たに見通す可能性が出てきたのである。もう一つは、前者の視角と大いに関係することであるが、荘園現地の交通形態の把握の重要性である。この点についても、従来は荘園からの年貢搬出ルートの復原に重点が置かれていたが、隣接地域との日常的な交流関係も含めた多様な交通形態を明らかにすることが重要と言えよう。文献史料は、荘園領主と荘園現地という閉じられた関係の中で残された記録という点で限界がある。また、現地調査についても、先行研究は多いものの個別具体例の指摘にとどまるものが多く、方法論が確立されているわけではない。本研究では、前者の視角を加味して、すなわち荘園史料に現われる人々がどのような交通形態にアクセスして荘園に登場してくるのかという形で史料を処理している。
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