研究代表者は、明治前期の教育と仏教の関係を中心に、明治20年代の「教育と宗教の衝突」論争に至る過程を二つの方向から社会史的に考察した。一つは、明治初期の教導職による民衆教化活動を、個別の僧侶と地方官との葛藤から描き出したもの。もう一つは、明治10〜20年代の僧侶教員兼務論を、教育界・仏教界その他で展開された言説の分析によって跡づけたものである。いずれも、「教化」「宗教」との分離によって近代日本の学校教育が定着する局面を解明する試みであった。それらは既発表論文と統合・加筆修正をほどこし、平成17年1月に京都大学大学院文学研究科へ博士学位請求論文「明治前期における教育/教化/宗教-その関係史的研究-」と題して提出した(その一部は次年度刊行予定の論文集の一章として公表される)。その際、教導職については長野県大町市北安曇教育会所蔵「中村孝三文庫」、明治前期における仏教系雑誌記事については東京大学法学部明治新聞雑誌文庫、慶應義塾大学斯道文庫、龍谷大学大宮図書館、成田山仏教図書館などで博捜、未見史料を数多く紹介した。 また、明治前期における仏教の社会的位相を考えるうえで重要な存在である僧侶・佐田介石についても、書翰を含む大正から昭和期にかけての佐田介石研究について多くの史料を発掘した。昭和初期の「明治仏教の再発見」という動向を併せて考えることで、明治前期の仏教・社会のありようを逆照射するという視座を得つつ、手稿史料を全国の佐田介石ゆかりの寺院から収集し、解読・整理もすすめた。その成果をもとに平成17年3月に第19回国際宗教史宗教学大会世界会議(於・東京)にて英語による口頭発表を行い、アメリカを中心とする海外の近代仏教史研究者との意見交換も行った。
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