1.幕藩領主による神社の秩序化について、主として式内社顕彰に焦点を当てて検討を行った。17世紀後半期の式内社顕彰は三家・会津など主に徳川一門によって行われていたが、同じ属性を持つ高松・福井ではかかる動向は認められなかった。ただ、高松藩においては寛文年間に領内有力社の復興と小社の整理が行われたことを確認した。また、平戸藩では、延宝4年当地出身の神道家橘三喜の意見を容れ、式内社の比定と顕彰を行っていた。この事例は、親藩・家門以外の大名によるもので、私が纏めつつあった親藩・家門大名による式内社顕彰から導かれる見解に修正を迫るものとなった。式内社顕彰への神道家の関与も、思想的背景理解に有効な発見であった。 2.宝暦9年の幕府による全国神社調査触への対応について、丸亀藩・福井藩のほか、昨年度確認できなかった東北(南部藩・弘前藩・黒石藩)・九州(大村藩・福江藩)で事例を得た。当該法令が、全国一律に布達されていないという昨年度の見通しは転換を余儀なくされた。南部藩では、修験が調査を担っており、当該触が藩内の状況によっては神社・神職を越えた位相にまで及んだことが確認できた。また、黒石藩が作成した神社帳の表書に「吉田表江相知候分」とあることは、当該触への吉田家の関与を予想させる。ただし、当該触の発布を幕府に要請したのは吉田家ではなく関白であったこと、しかし発布された触はに関白の要請を越える内容を持つことも確認した。 3.社家「触頭」制については、明治大学博物館蔵「各国神社宮司神主氏名控」によって近世後期の吉田家配下の様相を把握するとともに、越後魚沼神社文書によって吉田家とは距離を置いて存在しようとしていた神職の様相を把握した。また、筑前・肥後の神職編成に関する一次資料、松前藩の社家頭白鳥氏に関する複製資料を収集した。
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