研究課題
前年にひきつづき、南京国民政府の性格を「テクノクラート」論の観点から考察する作業を進めた。とくに「西北開発」の政策形成に着目し、科学的な知識がどのように具体化されるのか、そのときに中央政府と地域社会がはらむ緊張関係を分析した。また、開発政策が環境に対してもつ影響力がどれほど考慮されていたのか、すなわち開発の限界がどのように理論化そして政策化されていたのか、1930年代の中国に即して論じることができた。なぜ政治権力が科学的合理性を標榜する必要があるのかという問いには、様々な回答を準備できるだろうし、こと南京政府に限っても単純に説明することはできない。とはいえ、科学技術にもとづく政策が専門家のもつ権威によって正当化される可能性は、まず考慮すべき点である。南京政府は、孫中山の遺教をはじめ、多様な論理で自己の政策を説明していたが、以上のような政策の科学性というものも、有力なひとつであったと言える。そもそも孫中山の遺教のなかにも科学と政権との密接な関係をよしとする発想が含まれていた。さらに、国際的に認知された科学の権威が、中国をめぐる国際関係のなかで中国政府によって利用されたという側面にも留意すべきである。経済の実態については、とくに羊毛生産とその加工業の歴史的展開について研究を進めた。甘粛・青海でチベット人によって生産された羊毛は、おもに中国語を話すムスリムの手を経て、天津に至り輸出された。この貿易は、内陸の人々の経済活動を活性化するとともに、内陸への世界経済の影響力を強め、また異なるエスニシティの関係を再構築したのである。そして、政府の開発政策も、このような民間の経済動向と深い連関をもって進められていたと考えられる。
すべて 2007 2006
すべて 雑誌論文 (5件)
歴史評論 681号
ページ: 16-29
Enduring States : Considering States in the Light of Nations and Ethnic Groups(Fumiko Oshikawa (ed.)) (Center for Integrated Area Studies, Kyoto University)
ページ: 24-44
「帝国」日本の学知[3]東洋学の磁場(岸本美緒編)(岩波書店)
ページ: 55-97
現代中国研究 19号
ページ: 8-28
中国史研究(韓国) 44輯
ページ: 21-29