本研究は、高麗時代の朝鮮半島に元朝治下の中国より朱子学が伝来・普及した背景について対元関係を中心に解明するものだが、本年度はまず昨年度に続き、朝鮮朱子学の先駆者とされる安〓の事跡について追加調査を行った。その結果、安〓研究の基本資料とされる『晦軒先生実記』について昨年度判明しなかった刊本2種を新たに確認し、計10種の刊本に対する書誌学的・歴史学的調査結果を再整理して、18世紀後半〜20世紀初における本書の刊行史を復元した(『年報朝鮮学』9所載論文)。そのうえで、同書に叙べられた安〓による1290年の朱子学書将来という所伝に史料批判を加え、これが朝鮮中期以降の文献に基づく不確かな伝聞情報である疑いが濃いこと。安〓の朱子学学習契機としては、それ以前の1279年より質子として元都に長期滞在した経験が注目されることを解明した(『史淵』143所載論文)。 また韓国ソウル大学校奎章閣所蔵の『大学或問』を調査し、元末1342年に中国福建で刊行された『四書輯釈』の一篇の複製本であることを確認した。高麗では1371年に『四書輯釈』中の『中庸或問』が複製されたので、上記の『大学或問』もまたこれと1組の出版物だった可能性が高く、高麗人の朱子学受容過程を示す貴重な新一次資料となる。また上記の『中庸或問』についても、韓国現存の実物(寶物指定)を調査し、匡郭の違いから本書が覆彫以外の方法で複製されたことを確認して、朱子学がモノ(書籍)を通じて高麗に流入する具体的過程の一端を解明した。 さらに安〓以外の高麗知識人の朱子学学習に関する調査を進め、質子の派遣や元の科挙への応試が重要な契機となった様相を分析したが、これらを含む現段階における全体の成果と展望を、中国社会文化学会の大会シンポジウム(7月10日於東京大学)と韓国全北大学校主催の国際シンポジウム(12月3日於全北大学校)において口頭発表した。
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