本年度はトスカナ大公国の宮廷で活動していた高位役職者のうち、フィレンツェ人についてのデータを集めることができた。宮廷給料簿の分析は終了し、家系図などの調査もフィレンツェ人については完了した。現在はこのデータをもとに論文を執筆中である。フィレンツェ人は、トスカナ大公国初期の時代においては、高位宮廷職にはあまり就かないが、徐々にその数を増やしていく。しかしどの家も同じように宮廷職につくわけではなく、宮廷職を重視する家としない家があり、これは、外国人と違ってフィレンツェ人には、48人議会への参加やサント・ステファノ騎士団の騎士になること、あるいは大公から貴族のパテンテをもらうことなど、複数の名誉への道筋が開かれていたためであろう。もっとも、17世紀の後半になると、宮廷職の重要性は増していく。大公の顧問会議のメンバーを大執事などの宮廷職に就いている者が占めるようになるからである。 本年度はフィレンツェ人の宮廷役職者以外に、芸術家についても平行して研究を進めた。とくに宮廷の中で芸術家がどのような位置を占めていたかを考察した。その結果、宮廷で一流とみなされた芸術家には宮廷職の中でもかなり高い給料が支払われている一方、召使レベルでと同じ賃金しか払われていないものもおり、同じ画家や彫刻家といった「芸術家」でも、現在でいう「芸術家」扱いされている者と「職人」扱いされている者の間に大きな差が広がっていたことが分かった。また大公から贈られる特権や贈物を記した『特権の書Libro di privilegio』(古文書)を分析した結果、芸術家に特権や贈物が付与されることは、そのほかの宮廷人と比べると、かなり少なく、技術の問題よりも、いかに大公の寵愛を得ているかに左右されることが判明した。大公お気に入りの道化師モルガンテが家などを送られていることはその好例であろう。この芸術家の地位についての論文は、『西洋美術研究』(2006年4月)に掲載予定である。
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