三年次にわたる本研究の結果、弥生時代における利器素材の石器から鉄器への移行は、生産力の向上あるいは効率化という功利的かつ一律的変動ではなく、社会的価値体系の変質を伴うがゆえに地域間格差の著しい変化であることが判明したのである。 まず本年度でも去年度に引き続き、以下の遺跡出土の石器および金属器、木器の実見を進めた。福岡県金丸遺跡、寺福童遺跡、立岩遺跡、徳島県庄・蔵本遺跡、芝遺跡、愛媛県西番掛遺跡、高知県田村遺跡、鳥取県青谷上寺地遺跡、兵庫県天神遺跡、井手田遺跡、大阪府池島福万寺遺跡、巨摩遺跡、奈良県唐古鍵遺跡、平等坊岩室遺跡、京都府日吉ヶ丘遺跡、愛知県松河戸遺跡、朝日遺跡、元屋敷遺跡、石川県八日市地方遺跡、である。 また、四月には「近畿地方における磨製石斧様式と金属製利器普及の特質」と題した研究報告(近畿弥生の会第2回テーマ討論会)を行い、本研究の成果の一部を報告した。発表では畿内地域と日本海沿岸地域における石製工具と鉄製工具の関係をこれまでの調査成果をふまえ比較し、日本列島全体で一定量の鉄製工具が普及する弥生時代中期後半において、日本海沿岸地域では鉄製工具を主とし、その代替品として石製工具が変質するのに対して、畿内地域ではそれ以前の石製工具大系を固守した器種選択や流通体制が認められることを発表した。 さらに分析を進めた結果、石製武器と金属製武器の取り扱いにも地域差が認められることが判明した。具体的には、稀少な金属製武器を少数の階層上位者が独占的に副葬する北部九州地域を含む日本海沿岸地域と、石製武器を大量に生産し、一般成員に広く普及させた畿内地域という違いである。 これらの事実から、従来考えられてきたように弥生時代の石器は経済的効率化のため金属器への置換が一律的に志向されていたのではなく、それぞれの地域における社会構造、具体的には縄文時代以来の階級構造顕在化を抑圧する社会システムとそのサブシステムである石器の生産と流通との関係において、その移行は地域差が顕著であることが判明したのである。
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