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2004 年度 実績報告書

仲買と農家をめぐる出荷流通の民俗誌

研究課題

研究課題/領域番号 16720208
研究機関千葉大学

研究代表者

和田 健  千葉大学, 国際教育開発センター, 助教授 (20292485)

キーワード販売慣行 / 仲買 / 出荷 / 青田師 / たまねぎ
研究概要

本研究は市場外流通により成長してきた仲買人、通称青田師と蔬菜栽培農家との関わりについて、流通における双方の関係性がいかなるものであったかを検討するものである。本年度はたまねぎ栽培に関わる農家と青田師に関わる先行研究を中心に資料を渉猟し、かつ大阪府泉南地域を中心に聞き取り調査を行った。
泉南地域におけるたまねぎ栽培の経緯であるが、明治17年(1885年)、坂口平三郎によって壬生村(現岸和田市)で栽培されたのが始まりで、その後田尻村(現田尻町)に伝わり秋まきたまねぎとよばれる従来の出荷時期をずらした栽培法を開発し、泉南地域全体の農産物へと成長した。その後「コレラに効く」といううわさ話が追い風となって、販売売り上げが急増し、大正15年(1926年)にはオーストラリアに輸出する作物にまで成長した。
泉州たまねぎは特産品として成長したが、その要因は先にも述べたように流通をコントロールする青田師の存在が大きかった。青田師の役割は整理すると以下のように示される。
1.輸出も含めて多様な販路を開拓し、流通させることを前提に収穫前の先物買いを行うことで、農家にとって即金の感覚が浸透し、一年間を通じた出荷方法の開発が進んだ。例えば、端境期には軒先につるして出荷時期を遅らせる吊し売り(小屋売り)の方法を開発したが、これは現在でも販売方法として伝わる慣行である。
2.品種の改良を行う手がかりとなる市場情報を取引農家に示すことにより、この当時としてはより先進的な情報を獲得することができた。現在のような情報社会ではネットを通じて情報を容易に獲得できるが、この当時は流通者の持つ情報が農家の生産サイクルを左右させうる大きな存在であったと指摘できる。
上記に関わる史的事実について示された資料は原書、複本問わず収集することができた。来年度さらに聞き取り調査を進め詳細な検討を行うものである。

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公開日: 2006-07-12   更新日: 2016-04-21  

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