本研究は、学歴やエスニックグループの違いに留意しながら、日本植民地時代に教育を受けた人々の生活実践における日本語の使用状況を文化人類学的に手法に基づいて把握することを目的としている。言語が「われわれ意識」の創造やエスニシティにどのように影響しているかを探るものである。 平成17年度はエスニックグループの違いに比重を置いて調査をおこなった。そのため主に外省人に集中的に聞き取り調査を行った。このほか、1940年代前後に生まれた本省人にも聞き取り調査を行った。この世代は、日本の植民地期に生まれるものの、日本の教育を十分に受けておらず、国民党教育が確立した戦後生まれの台湾の人々とも異なるマージナルな存在である。昨年度から行っている本省人への聞き取りもあわせて行った。全部で約20名の主に話を聞いた。このほか、関連する資料の収集等を実施した。 今年度の研究からは、具体的に以下の点が明らかとなった。ひとつは、外省人において「日本」に対する思いは、「憎悪」と「無関心」のふたつにわけることができる点である。「憎悪」という思いを持つものは、蒋介石の立場に理解を示すもので軍関係者が多い。「無関心」は、中国大陸で富裕層であった人々で共産党への嫌悪感から国民党を支持してきた人々に多い。ただいずれの場合も「日本」を媒介項として本省人に対する差異を見いだしてはいない。もうひとつは、1940年前後生まれの本省人は、日本へも、国民党へも距離感を有していた。これらの点は台湾の植民地問題を扱う場合において、既存の境界線(外省人/本省人、1945年前/1945年後)が隠蔽していた問題を浮上させるものである。
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