本件研究においては、第1に、18世紀前半イングランドの治安判事のノートブック及び小治安裁判所録を主な史料として、単独治安判事及び小治安裁判所における裁判・裁定と、貧民救済を中心とする行政任務遂行の実態とに焦点をあてて、この時期の治安判事による裁判・裁定の性格及び治安判事による統治の本質についての再検討を試みた。名誉革命以後のイングランドの地方行政および地方司法は、中央政府による統制を事実上全く欠き、地方の統治の主要な担い手である治安判事は、中央政府に対する自律性および独立性を確保することができた。しかしながら、かかる状況における治安判事による地方統治は、けして恣意的ないし独裁的な性格をもつものではなかった。治安判事による紛争解決及び行政任務遂行の目的は、犯罪ないし違法行為の処罰そのものよりも、地域社会内で生じた対立状態の終結と、それによる共同体内の人的関係および秩序の回復に向けられており、地域共同体における秩序および平和の維持を実現しようとしていたという点において、一定の目的合理性を見出すことができる。本件研究においては、第2に、イングランドとの比較の観点から、アメリカ合衆国マサチューセッツ州における救貧行政の歴史的考察を行った。植民地時代から19世紀初期までの同州における救貧行政は、タウンを基礎として行われており、貧民救済の根拠となる定住権をきわめて厳格に認定し、かつ外国からの移民をはじめとする貧困者のタウンへの移入を極力阻止しようとすることによって、公的な貧民救済の対象となりうる者を極力減らそうとしている点に大きな特徴があった。タウンを基礎とする救貧行政は、イングランドと異なってカウンティの治安判事の関与を排除するかたちで行われていたが、ボストン市の救貧行政改革にみられるように、地方当局の自律性および独立性は、各地域における合理的な政策目的の実現に資していたと解せられる。
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