平成17年度は、アメリカ合衆国における表現の自由判例法理としての「やむにやまれぬ政府利益」概念の形成過程に関する前年度の研究成果を論文の形にまとめる作業を行う一方、1960年代末から70年代の判例法理の展開を中心に同概念の形成過程を検討する作業を行った。前者については、とくに1956年開廷期から1961年開廷期までの合衆国最高裁における同法理の形成過程に焦点を当てて、同概念がアフリカ系アメリカ人による権利獲得運動(公民権運動)が南部諸州で厳しい弾圧を受ける中、最高裁がこれらの運動に法的保護を与えるという文脈で登場し、かつ論理枠組みとしてはマッカーシズムによる市民的自由制約の中で最高裁が採用した利益衡量論をより権利保護的に作り替えたものであること、さらにかかる経緯から1954年のブラウン判決以降の人種隔離撤廃に関する動的な政治的・社会的過程(「公共圏」)の形成・展開と同時進行的に「公共圏」にとって不可欠な表現の自由法理が形成され、そのことは63年の一判決において理論的にも確認されたという連関の存在を明らかにした(「前期ウォーレン・コートにおける表現の自由法理の形成」として公表予定[印刷中])。また、後者については、1960年代中葉以降の公民権運動の変質、ヴェトナム反戦運動の高揚など社会的状況の変化の中、より多様な権利主張が登場し、さらに70年代のバーガー・コート期に同概念がその歴史的起源から離れて適用範囲が拡大され、厳格審査基準として確立される過程を跡づけ、一方でこれが「公共圏」の形成・機能をより促進したと同時に、他方でそこにおける討議対象の多様化・分散化に伴い、表現の自由保障を通した「公共」形成の社会的過程はより複雑な経路を示すことになったという知見を得た。今後できるだけ早い時期に、これらの知見を含めた2年間の研究成果を論文の形にまとめ、公表する予定である。
|