(1)先端生命科学研究における遺伝情報の提供で主に問題となる法益は、「プライバシー」および「自己の個人情報コントロール権」である。両者を同一視する見解が多数であるが、前者は後者とは区別して、「コントロールされた自己イメージに基づき社会的評価から自由な領域において行動する自由」と解すべきである。 (2)遺伝情報は、一生不変で一般に極めて重大な個人情報であると考えられている一方で、血族間において一定の強い共有性が認められ、純粋に自分のみに関係する情報ではない点で、通常の個人情報とは異なる特質が認められるものである。 (3)(1)および(2)から、Xの親族の遺伝情報は、Xの個人情報ではないが、Xにプライバシー的利益が肯定されうるという点で、プライバシーの方が保護範囲が広くなる。逆に、自己の遺伝情報は、個人情報としては誰との関係でも保護されるが、プライバシー的利益は親族によって内在的に制約されうるという点で、プライバシーの方が保護範囲が狭くなる。 (4)(3)の意味で、遺伝情報の提供において問題となる遺伝子プライバシーは、自己の法益と他人の法益とのいわば「複合法益」としての性質が認められるものであり、そこでの被害者の同意は、そのような複合法益を処分する行為として理解されなければならない。 (5)以上の枠組みを前提に、次年度は、それをさらに精緻化しつつ、共有物の横領における共有権者、未成年者誘拐における未成年者と監護権者、住居侵入における共同居住権者などの、複数の法益主体の利益が絡む犯罪における被害者の同意のあり方を探究した上で、その中に、複合法益としての遺伝子プライバシーにおける被害者の同意を位置づけたい。
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