本年度は、アメリカ法におけるコンスピラシーの概念と訴追を概観してきた。実際の刑事手続においてコンスピラシー訴追が担っている役割を浮き彫りにする作業は、「犯罪への関与者を処罰すること」を、わが国やその母法たるドイツ法以外の視点から立体的に見ることにも資するであろう。本研究が、そのような視点を提供するための基礎作業としてわずかでも寄与するものがあれば幸いである。 本年度、明らかにされたことは、犯罪(あるいは不法な行為)を遂行しようと共謀した者を、そのことを理由として処罰するコンスピラシーが、その概念の有する本質的なあいまいさや、手続法上の様々なコンスピラシーに特有のルールを批判されてきたにもかかわらず、現在のアメリカ法において、確固たる地位を確立しているということである。 このことは、わが国において、共謀共同正犯概念が、判例によって生み出され、学説によって批判されつつも、刑法理論に確固たる地位を占めるに至ったことと、非常によく似た関係にある。コンスピラシーと共謀共同正犯は、一方が一三世紀のイギリスにおけるコモンローに、他方が明治期以降の裁判実務にと、異なったルーツを有するものでありながら、同様に共謀という現象に着目して、犯罪への関与者を処罰するのである。 もっとも、両者は、個々人が犯罪遂行を介図し、数名が共謀し、計画を実行に移すという時の流れの中で、どの時点から可罰的となるかについては、考え方を異にする。コンスピラシーは、共謀、あるいは、オーバートアクトが為された段階と、かなり早期から可罰的であるのに対し、共謀共同正犯は、少なくとも実行の着手を待たねば可罰的ではない。コンスピラシーと実体犯罪との併科を認めることと並んで、コンスピラシー固有の危険性を承認し、それを処罰根拠とすることを認めるか否かで結論がわかれるのである。
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