本年度は当初の計画通り、19世紀後半のアメリカ政治における政策専門家の位置づけを、連邦では初の独立行政委員会の設置を決めた、州際通商法(1887年)の制定過程の分析を通じて解明することをめざした。まず、連邦議会議事録を中心に基本資料の検討をすすめ、そこで得た着想をもとに2004年の比較政治学会年次大会で報告を行った。そこで明らかになったのは、ほとんどの政党政治家がこの時期専門家による統治を嫌っていたという通説に反して、実際には政策の複雑性に対する自覚から、政策専門家の必要性が認識されていたことと、にもかかわらず政策形成を任せられるような、政治的な中立性を持つ専門家が社会の側にまだ存在しなかったということである。ここでは、政策専門家への需要と供給のミスマッチ、あるいはタイムラグがあったことになる。 その後はこのアイデアを踏まえて、専門家の社会的な供給のあり方を、当時勃興しつつあった社会科学、とりわけ州際通商法の規制対象となる鉄道との関係で重要となる経済学の発展状況に即して検討した。それを通じて、当時の社会科学者が専門家として社会的に認知されるだけのまとまりを獲得しておらず、また政策形成に貢献する意欲も往々にして欠いていたことが明らかになった。年度末にかけて、この知見を英文の論文にまとめることができ、その内容は2005年4月のアメリカ中西部政治学会で報告する予定になっている。また、同年9月に開催予定のアメリカ政治学会でも、報告を行うことが決まった。19世紀の部分に関する分析に一定の目処が立ち、また専門性に対する需要と供給、という本研究の全体像に関わる重要な着想が得られた点で、ほぼ予定通りの進度で研究を遂行できたのではないかと考えている。
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