日本の官・民別知的交流の潮流は、バブル経済全盛の80年代と90年代以降に分けることができる。シンクタンクの調査により、民間シンクタンクは経済成長に伴って、80年代には社会的還元の一環として、国際的ネットワークやフォーラム作りに、盛んにリソースを提供したことが明らかになった。その後は経済の低迷から、民間のこの種の活動は低調となった。逆にこの間、IT技術の活用により官僚の間の交流ネットワークは量・質ともに大きく改善した。 北東アジアでは重要な経済統計などのデータ群が、政府に独占的に蓄積、死蔵されている。データがガラス張りの米国と比べると、社会的データのオープンな活用の不在が、社会経済的変化・改革を遅延している。また、北東アジアでは、政府から独立・自律した知的センターが少ない。日本の有力な機関は、70年代以降の通産省によるシンクタンク育成政策の結果である。また、中国でも有力な機関は党や国家の組織であり、この知的機関の政府への強い結びつきが大きな特徴である。 しかし同時に、政策や外交にも関わる知識の担い手が、各国で拡散している事実は、今後の北東アジアの知的相互交流の考察にとって必須である。かつて外交・国際交渉は、その分野に精通した官僚・政治家・商社などが行っていたが、90年代以降の北東アジアの国際的議題は、かつて考慮されなかった範囲に拡大し、新しいアクターが国際関係に影響を与えている。この文脈で考察すべき四つの知的センターは、(1)民間シンクタンク、企業の情報力、(2)大学や付属の研究所、(3)マスメディアの情報力、(4)文化人・知識人の世論への影響である。諸知的センターの相互関係と社会的影響の特定が、日中韓の知的交流分析において重要であることが明らかになった。韓国では大新聞、中国では「公共知識分子」のように知識人の発言が存在し、各国で知的機能の社会的編成には差異がある。
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