現代日本の環境運動はどのように形成され、変化してきたのか。また、今日の環境NGO・NPOやボランティア活動は、1960年代以降の安保闘争、学生運動などの「大文字の社会運動」とどのような関係にあるのか。本研究では、特定のイデオロギーを掲げ、社会変革を訴える「大文字の社会運動」がそれぞれ個別の開発反対運動、公害環境運動、地域運動へと分立・交差するところに位置し、今日の環境NGO・NPOの先駆けでもある「水俣病センター相思社」(以下、「相思社」)に注目し、それが70年代初期から現在にいたるまでの30年間の活動経験を「支援運動」という観点から分析する。それにより、社会が環境NGO・NPOやボランティア活動を支える理念の発見と、そこにおける被支援者と支援者との望ましい関係形成のあり方を構想するのが、本研究の目的である。 平成17年度は、相思社職員と相思社設立に関わった水俣病研究会の関係者に追加のヒアリング調査と資料収集を行った。また、収集済みの水俣病研究会の資料を対象に解析作業を行った。 その結果、以下のような知見が得られた。目下の環境ボランティアをはじめとする各種のボランティア・ブームはポスト新しい社会運動として位置づけられる。水俣病運動の場合、かつて第1次訴訟の頃の「義勇兵」からボランティアへという流れの中で転換点となったのが、1989年の「甘夏事件」である。89年6月9日、朝日新聞にスクープされ水俣病運動の「不祥事」といわれているこの事件において、当事者(水俣病患者・家族)と支援者とがボランティアの意味や機能をめぐって激しく対立した。その結果、長年、患者の支援活動に関わってきた多くの支援者が水俣を離れることとなった。この事件を中心にボランティアの意味をめぐってどうすれ違っていたかを明らかにし、今日のボランティアへの示唆を引き出すことは、きわめて有意義な作業と考える
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