現代日本の環境運動はどのように形成され、変化してきたのか。また、今日の環境NGO・NPOやボランティア活動は、1960年代以降の安保闘争、学生運動などの「大文字の社会運動」とどのような関係にあるのか。本研究では、特定のイデオロギーを掲げ、社会変革を訴える「大文字の社会運動」がそれぞれ個別の開発反対運動、公害環境運動、地域運動へと分立・交差するところに位置し、今日の環境NGO・NPOの先駆けでもある「水俣病センター相思社」(以下、「相思社」)に注目し、それが70年代初期から現在にいたるまでの30年間の活動経験を「支援運動」という観点から分析する。 平成18年度は、相思社職員・理事と相思社設立に関わった水俣病研究会の関係者に追加のヒアリング調査と資料収集を行ってきた。また、これまでの水俣病運動に関する研究を、より普遍的な文脈で位置づけるためにポストNSM(新しい社会運動)研究会を立ち上げ、共同で研究会を実施した。 その結果、以下のような知見が得られた。目下の環境ボランティアをはじめとする各種のボランティア・ブームは、相思社の後発の運動形態であり、その意味において通時的には「ポスト新しい社会運動」として位置づけられる。ただ、2004年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決以降、相思社は、かつての未認定患者・未申請者の申請運動の支援業務に回帰したところがあり、他方では水俣市に予定されている産業廃棄物処分場設置をめぐる反対運動に先導的な役割を果たしている。したがって、共時的には、ボランティア的な運動の機能とともに、政治的な運動組織(SMO)の意味を強く持っている。今後、こうした相思社の運動の歴史的変遷と、同時代史的な機能とを視野に入れた研究成果をまとめたいと考えている。
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