本研究課題「近代沖縄における学校受容の二重構造化過程-報徳会運動の新機軸-」の平成17年度研究は、前年度に引き続き、沖縄県内外に散在する関連史・資料の収集を中心とした作業をなすとともに、収集した史・資料の分析をなし、研究課題の周辺的事項についての整理を試みた。 琉球処分後における沖縄の近代化は、統治機構の旧来的な在り方を維持・強化する「旧慣温存」政策を採りつつ、教育政策においては「本土化」を促す急進的な方向で進められるものであった。 学校を中心とする「本土化」政策は、本土から招聘された教師を中心にすすめられたが、のち、各地において字単位で形成された風俗改良会の各種事業に引き継がれることとなった。秩序、統制、そして感情などをすべて包容する字(シマ)による風俗改良事業は、旧来からの機能を継承しながら徐々に近代を志向するものとなり、学校への積極的な関与により、「本土化」を進める推進力となったのである。近代沖縄における学校受容の構造には、風俗改良会等における地域活動が極めて大きく関与しているのである。 「旧慣温存」と「本土化」の融合による特異な近代化は、やがて新しい指導者たる地域青年たちによる自己実現の場となりながら、近代化にむけた地域活動を用意するようになる。その際、彼らの活動を強く動機付けたものは、シマ感情であった。そしてそのシマ感情は、「旧慣温存」を受け旧支配者層に対する対抗意識として、或いは、「本土化」を受け「日本人」に対する対抗意識として、急速に強まりを見せていった。
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