研究概要 |
4)実測調査 茨城県美野里町にて長屋門の実測調査を行った。 5)長屋門の形態 美野里町において実測調査を行った33例をもとに考察する。敷地形状は,間口に対して奥行きが長いものが9割弱を占める。最も多い形状は南面で接道し,南北に長い敷地である。東または西に道路を有する東西に長い形状は9例あり,この場合,長屋門は道路に平行に配置され,母屋が南向きとなる。つまり,母屋は方位を,長屋門は方位よりも接道を優先して建設されている。 意匠は,武家の長屋門では漆喰に海鼠壁や簓子(ささらこ)下見板張りを組み合わせた外装が内外を問わずぐるりと仕上げられている。一方で農家の長屋門は,表では海鼠壁や簓子下見板張り,裏手では堅板張りなど内外の外装を使い分けている例が多い。表としての認識は妻面から正面,中央の通り部分は裏面と同じ仕上げとなる傾向があった。長屋門は外観の見栄えを重視して建設されたことがわかる。 6)長屋門の用途の変遷 長屋門の両側の室空間の用途は,美野里町の55軒中,両方とも納屋のタイプが9軒,片方が納屋でもう一方に居住空間をもつタイプが46軒で,後者が8割以上を占める。居住空間をもつタイプは当初は隠居としての利用が9割以上を占め,隠居者がいないときは貸家に,また,母屋の建替えを行う際に長屋門を一時的な仮住まいとして利用した。こうした長屋門の利用について全国に目を向けると,明治時代には役場や銀行の支店,小学校等の設置が確認でき,屋敷や地域の緩衝空間として機能していたことがわかった。 調査時点では,長屋門での隠居は8軒で,多世代居住の減少,長屋門とは別に新たな隠居屋の新築,若夫婦のための新居を造り,親世代は母屋でそのまま生活をするケースの増加で,新たな用途が見出せず,空室や物置等となり,生活上の意味が薄れたものが徐々に増え,昭和50年以降は約4割で見られた。
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