研究課題/領域番号 |
16H03508
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
村上 恭通 愛媛大学, アジア古代産業考古学研究センター, 教授 (40239504)
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研究分担者 |
鈴木 康之 県立広島大学, 人間文化学部, 教授 (10733272)
槙林 啓介 愛媛大学, アジア古代産業考古学研究センター, 准教授 (50403621)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 東寺領荘園 / 新見荘 / 製鉄 / 弓削嶋荘 / 製塩 |
研究実績の概要 |
2018年度は東寺領新見荘がおかれた岡山県新見市、弓削嶋荘がおかれた愛媛県上島町で次のような調査を実施し、研究成果を得た。新見市においては前年度、神郷高瀬地区で実施した踏査成果を前提に、5月に貫神ソウリ遺跡、鍛冶屋床遺跡において地中レーダー探査を実施した。その結果ではいずれの遺跡においても明確な構造物の輪郭が捉えられないため、10月、11月に試掘調査を実施し、貫神ソウリ遺跡では後世の土地削平、製鉄関連施設が根こそぎ滅失し、縁辺部にスラグ原のみを遺していることが判明した。これに対し、鍛冶屋床遺跡は石組の構造物を遺し、小舟状遺構の一部を確認し、地下構造が残存していることを明らかにした。放射性炭素年代測定により、前者が13世紀後葉、後者が15世紀後葉~16世紀前葉であることもわかった。これらの遺跡以外にも踏査により新畑南遺跡、永久山一ノ谷遺跡でスラグ原を確認し、スラグ噛み込み木炭を測定した結果、いずれも16世紀を中心とする遺跡であることが判明した。 愛媛県上島町では8月に佐島・宮ノ浦遺跡(Ⅱ区)を発掘調査し、併行して上弓削・高濱八幡神社の調査も行った。宮ノ浦遺跡では10~11世紀の遺物をともなう灰白色粘土層と厚い焼土層を検出した。これらは粘土を用いた構造物で、なおかつ焼土を生成するような施設の残骸であり、生産活動に関連する可能性が考えられる。高濱八幡神社は2013年に小規模な試掘を行い、揚浜式塩田の浜床の可能性の高い硬化面を確認していたが、この発掘調査により、一定の面積を有し、砂堆上を整地して粘土を貼り付けた塩田浜床であることを実証した。浜床層に含まれる木炭を資料とした年代測定の結果、下層は9世紀、上層は12世紀を中心とする年代を示し、古代に造成された塩田が中世前期まで使用されていたと考えられるようになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
文献史の研究では新見荘の鉄産地として注目されてきた神郷町高瀬(旧、吉野)において貫神ソウリ遺跡、鍛冶屋床遺跡という2つの遺跡を発掘調査し、製鉄炉がそこに存在したことを実証した。前者は景勝光院領時代の製鉄炉で東寺領前段階に属し、後者は投じよう時代後半期に属することもわかった。また踏査によりさらに二ヶ所の中世製鉄遺跡を確認でき、高瀬地区における製鉄遺跡の密度に関しても議論が可能となった。文献史の立場から検討されてきた中世製鉄経営に関する研究に対しても大きく後見する成果を得たといえよう。 弓削嶋荘に関しては『国宝百合文書』の研究から塩田の存在が想定されていた高濱において浜床を一定の面積で検出できた点は重要である。ここでは塩田の構造が明らかになり、その時代で唯一の浜床構造がわかる資料である。宮ノ浦遺跡では小規模な調査区での成果ではあるが、大量の粘土が遺跡内に持ちこまれ、火を用いた生産活動が遺跡内で行われたことが想定できるようになり、次年度、集中的な調査の指針を与えた点を高く評価できる。
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今後の研究の推進方策 |
新見荘については13世紀、15~16世紀の製鉄遺跡を確認することができた。しかし東寺領荘園時代の開始期から展開期に当たる14世紀代、すなわち室町時代の製鉄炉が確認できていない。最終年度となる2019年度も引き続き、製鉄遺跡の踏査を実施し、この時期の製鉄遺跡について、将来的な試掘調査のための端緒を作りたい。 弓削嶋荘については『東寺百合文書』の研究により、塩田所在地とされる上弓削地域の踏査、試掘調査を実施し、高濱八幡神社以外の塩田浜床の存在を明らかにする。また佐島・宮ノ浦遺跡においては発掘調査によって生産施設の残骸と考えられる白色粘土層、焼土の性格を明らかにする。 最終年度となるため研究成果報告書を年度末までには刊行し、2月にはシンポジウムを開催し、成果の社会的還元をはかる。
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