研究課題/領域番号 |
16H03511
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研究機関 | 大阪市立大学 |
研究代表者 |
岸本 直文 大阪市立大学, 大学院文学研究科, 教授 (80234219)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 横穴式石室 / 岩屋山式石室 / 横口式石槨 / 大化薄葬令 / 終末期古墳 / 方墳 / 八角墳 / 尋 |
研究実績の概要 |
6世紀前半の市尾墓山古墳の横穴式石室、7世紀前半の小谷古墳の岩屋山式石室、艸墓古墳・西宮古墳の岩屋山亜式石室、7世紀の観音塚古墳・観音塚西古墳・観音塚上古墳・鉢伏山西峰古墳・南峰古墳・オーコ8号墳の河内飛鳥の横口式石槨、お亀石古墳の石棺タイプの横口式石槨、石宝殿古墳の鬼ノ雪隠・俎タイプの横口式石槨について、3次元計測を実施した。 これまでに計測してきたものをあわせ、計測データにもとづく石室・石槨の設計を検討し、使用された尺度を求めた。その結果、岩屋山式の小谷古墳や文殊院西古墳は高麗尺、岩屋山古墳は唐尺であり、岩屋山亜式の艸墓古墳・西宮古墳も唐尺であることを確認した。これにより、およそ630年頃を境に使用尺度が転換すると見通すことができた。河内飛鳥の横口式石槨についても高麗尺と唐尺の両方があり、これらについても7世紀前葉までと中葉以降に区分できる可能性が高い。 墳丘についての検討の結果、5世紀に導入された1尺25㎝の南朝尺の6尺1歩1.5mの歩数が、6世紀そして7世紀にも継続して用いられていることが判明した。またこの1.5mは、石のカラト古墳の墳丘規模などから、大化薄葬令の規定である墳丘規模9尋・7尋・5尋の、1尋1.5mと一致するので、中国尺の1歩=1尋であること、薄葬令の規定が古墳時代以来の墳丘規模規定の延長上に位置づくことが明らかとなった。7世紀の墳丘を検討すると、7世紀前半は偶数値の2歩刻みで墳丘規模は9尋13.5mより大きく、7世紀後半になると奇数値の2歩刻みになり、天皇陵をのぞいて薄葬令の規定内であることも判明した。 以上により、石室・石槨の使用尺度、墳丘規模の寸法から、7世紀第1四半期/第2四半期/7世紀後半に時期判定ができる見通しをえることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
順調に、7世紀代を中心とする重要な横穴式石室・横口式石槨の計測作業が進んだ。これにより、石室・石槨の設計寸法を厳密に検討することができ、高麗尺か唐尺かの判断ができるようになった。検討していると、高麗尺か唐尺がはっきりしないものもあり、どちらでも適合的に見える場合もあるが、平面、両側壁など、適合性がどちらがより高いかが重要な判断材料になること学んだ。これも3次元計測による各部寸法の精度が飛躍的に高まったため、可能になったものといえる。
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今後の研究の推進方策 |
横穴式石室・横口式石槨については、6世紀中頃や後半の代表的なもの、そして7世紀代の未計測の重要なものを、第2年目にも計測作業を進める。そして6世紀以来の横穴式石室の変化、とくに6世紀後葉の導入以後の横口式石槨の系統と変遷を、第2年目には集中的に検討する。また、百済・陵山里古墳の切石石室との関係を追及する。 墳丘については、石室・石槨の年代判定をふまえつつ、設計と規模を明らかにし、現在の見通しが裏付けられるのか、検討事例を増やして分析を進める。なお、この時期の重要な大型長方形墳である葉室塚古墳の墳丘測量を実施する。 また、7世紀代の須恵器についての整理作業も平行して進める。
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