本研究はわが国固有の都市基盤である近世城下町を起源とする城下町都市の明治以降の都市づくりを文脈的に解釈し、その延長上で計画論へと応用する方法論を確立しようとする構想である。そこで歴史的環境を基盤とした文化的景観における継承、破壊あるいは創出の観点から空間履歴、空間利用および議論から近代都市づくりの思想と計画技術を、価値化と評価を切り口として解き明かすことを目的としている。その目的を達成するため以下の2点について研究を進めた。 第一に天守の「利用」からみた文化的景観形成の思想について分析を進めた。藩政期から残る天守が、近代において内部が公開されたケースにおいて、当時の都市社会や市民生活上の意義を検討した。 第二に城址の「公園化」における文化的景観形成の思想と計画技術について分析を進めた。城址公園において城址が有する歴史的風致の取り扱いの観点から公園の設計や整備等について検討した。和歌山城址の公園化の経過、本多静六による和歌山公園の設計思想の抽出、さらにその設計における風致の破壊に対する南方熊楠をはじめとする反対論の展開などを明らかにした。また近代の造園家である長岡安平が設計した千秋公園(久保田城址)や岩手公園(盛岡城址)、本多静六が設計した徳島公園(徳島城址)や和歌山公園(和歌山城址)を対象として、比較対照した相対化分析により、当初は風致を維持する設計だったが、時代を経るごとに風致を破壊する傾向にあったことが明らかになった。
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